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川村ケン×ソングライティングコース在校生座談会その4 ソングライターになろうと思ったきっかけは?

4回目となる「川村ケン×ソングライティングコース在校生座談会」。今回は、そもそもどのようなきっかけで「歌モノ」書きを目指すようになったのか、入学のきっかけなど、幼い頃から高校時代までを振り返ってもらった。



――まず、みなさんにお聞きします。どんな高校生でしたか?


ひとそれぞれ
在校生のみなさんも、さまざまなバックボーンを持っている。

柳澤さん:わたしは、軽音楽部(※1)にいて、ギターボーカルでずっと3年間バンドを組んでいました。副部長として、文化祭とかでも中心になって活動してました。周りからは「歌のウマい子」みたいな感じで覚えてもらっていましたね。

冨田さん:わたしも軽音楽部で、ギターボーカルをやっていました。音楽との出会いは、3歳のときに始めたピアノからですね。両親が音楽の教育に熱心で、名前も「響」ですし(笑)、自分は音楽家になるものだと思って育ってきました。高校に入っても、音楽系以外の部活にも入るつもりはなかったですし、とにかく、勉強よりも曲作りやバンド練習に熱心でした。

沙魚川くん:僕の学校にはクラブ活動が無かったので、僕は軽音楽部とかには入っていなかったのですが、そもそも中学3年までは音楽自体、それほど好きじゃなくて――小さな頃に無理やりピアノをやらされたのがきっかけで好きじゃなくなってしまったんです――それが、ミュージックソー(※2)というノコギリを楽器として使う音楽に出会って、それから、一気にのめりこんでいきました。

川村先生:沙魚川くんのミュージックソー、入試でも披露してくれたけれど、素晴らしかったね。そして、クラシックピアノのレッスンでピアノが嫌いになってしまうことがあるのは、よくわかるんだ。かくいう僕もその一人だったからね。また、違う音楽との出会いチャンスがあってよかったね。

沙魚川くん:そうですね。僕は、いわゆるオーソドックスな楽器ではなくて、少し変わった楽器に惹かれます。今は、ティン・ホイッスルがとても好きです。鍵盤は、最低限、打ち込みで使えれらるくらいできれば十分かなと思っています。

シャジャリさん:わたしはイランの高校に通っていまいた。数学を専攻する普通の高校生で、音楽は趣味でやっていました。高校を卒業してからイギリスに4年間、音楽留学をして、そこではクラシックの作曲を学びました。

西川さん:わたしは、姉がピアノを習っていて、それに付いていっていたのがきっかけです。音大に入ろうと思ったのは、浪人時代でしたね。それまでも音楽は好きでしたが、学校で専門的に学ぼうとまでは思っていなかったので。

川村先生:なるほど、18、19から、目覚めちゃったんだね! でも作曲家を目指すのに、始める年齢に制限はないからね。

石川くん:僕は、子供の頃から音楽教室には通っていましたが、中学・高校生のときは、ずっとバスケ一筋でしたね。ただ、中学生のときブロードウェイ・ミュージカル(※3)に感動して、音楽に深く関わりだすのは、その辺りからなんですが、まだその頃は人前で演奏したりするのは苦手だったので、むしろ、音楽をやっていることは隠していました(笑)。高校卒業してから、弾き語りライブをやったり、その縁でバックコーラスやお芝居なんかもやるようになりました。

――ちなみに、川村先生はどんな高校生でしたか?


勉強は中学で卒業!
高校のときすでに、マルチに活動していたという川村ケン先生。

川村先生:バンドばっかりやっていましたね。“お勉強”は中学までにやり尽くしたので、ということで(笑)! 次のステップにいこうかな、と。高校では、僕も軽音学部で部長をやっていまして、バンドも、コピーバンドでしたが、7つほど掛け持っていたので、高校時代だけで300曲ぐらいは、やりましたね。ジャンルも、ポップス、ロック、フュージョン、歌謡曲など色々でしたよ。今思えば、良い音楽的ベースになったと思っています。

――みなさん、どのようなきっかけで、自分で曲を作ることを始めたんですか?

石川くん:それまでは、お芝居やミュージカルなどでも「他の人の作品の中で自分をどう活かすか」や、「人の期待に応える」っていうところまでがテーマだったんですが、だんだんそれに飽き足らなくなってきました。たとえば何か要望があったときでも、「他にこういうのはどうですか?」と自分からアプローチしたい、そう考えるようになったとき、「ちゃんと自分で作れるようになりたい」、「自分の引き出しを増やしたい」と考えるようになりました。

柳澤さん:わたしは、ずっと女性アーティストのコピーをやっていました。で、中学2年生ぐらいのときに「わたしにもできるかもしれない!」って思ってオリジナルを作ってみたら「できたー!」みたいな。

一同:(笑)

柳澤さん:人に聞かせたら褒められて、それでまた、がんばる!っていう感じでした。わたし、楽器はギターしかできないんですけど!

川村先生:たとえギターしかできなくても、入学して勉強してもらえるのは、本コースの一つの特長ですね。だって、良い曲が作れるなら、専門楽器が何であっても、関係ありませんからね。


才能ある!
褒められた経験が作曲家への一歩となったという在校生も多い。

冨田さん:わたしの場合は、高校で軽音を始めて、『9mm Parabellum Bullet(※4)』などの邦楽ロックのコピーやってたんですが、曲をコピーして演奏していく中で、メロディや展開に自分なりの考えが出てくるようになってきたんですね。原曲も、もちろんカッコいいんですが、もっとこう、みたいな。それで、満足できないなら自分で作っちゃえばいいじゃん! ということで、高校3年のときに、感じるままオリジナルを書いて、自主制作でCDを作ったら、ライブに来たお客さんが買ってくれまして、「覚えやすくていい!」って褒めてもらえて、それで、……きっと自分には才能ある!って思っちゃって(笑)。

川村先生:それ大事(笑)! そのお客さんには感謝だね。

シャジャリさん:日本語の歌詞がある曲を作るのは、最近始めたばかりですが、昔、クラシックの練習していて、間違って弾いてしまったのに、なんだか、かえってそのメロディが気に入って、そこから自分の曲を作っていった……みたいなことはありました。

川村先生:クラシックも、楽器のテクニックや表現を磨くという意味では大切ですが、楽曲は既成のものを使って練習していく場合が多いですよね。僕は、「オリジナルを作る」「無かったものを生み出す」ということは、たとえ完璧でなくとも、何よりも価値があることだと思っています。ポピュラーミュージックの職業作曲家の始まりは、20世紀半ばで、たとえば「女性シンガーソングライター」というのは、58年デビューのキャロル・キング(※5)などが有名ですが、彼女のオリジナルソングは、大変多くの、当時の若者の共感を得ました。その系譜の上に、柳澤さんや冨田さん、シャジャリさんたちはいるんです。キャロル・キングのデビューからは、すでに50年以上経っていますが、自分の作った曲を発表して、同世代の人の心を打っていく、ということは同じですよね。それぞれの、これまでの経験を生かして、同世代の若者の代弁者として、これからどんどん、良い楽曲を書いていって下さいね。



※1 軽音楽部:現在ひろくポップスと呼ばれている音楽ジャンルは、かつてクラシック以外の音楽という意味で「軽音楽」と呼ばれていた。

※2 ミュージックソー:刃のついていないノコギリを弓で弾く楽器。(参考:Wikipedia『ミュージックソー』項)。

※3 ブロードウェイ・ミュージカル:アメリカはニューヨークにあるブロードウェイ地区発祥のミュージカル。

※4 9mm Parabellum Bullet:日本のロックバンド。2004年に横浜で結成以来、現在まで精力的に活動している。クリアなボーカルとストレートかつハードなバッキングが特徴。

※5 キャロル・キング:アメリカの女性シンガーソングライター。代表的アルバムは、1971年発表の『つづれおり(Tapestry)』など。



座談会の参加メンバー

座談会参加者

写真左から、シャジャリ デララさん、沙魚川 勝紀くん、西川 愛さん、川村ケン先生、冨田 響さん、石川 晃士郎くん、柳澤 璃李子さん。